解説定山渓温泉の歴史

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定山渓温泉の歴史定山渓温泉の存在は、古くからアイヌの人達に知られていたと伝えられている。

慶応2年(1866)に、小樽でこの温泉のことを知った僧 美泉定山が、アイヌの人たちに案内されて辿り着き、小さな小屋を作って温泉宿とした。

札幌に新しい北海道の首府を建設していた開拓使判官の岩村通俊は、定山の求めを受け1871年(明治4年)に温泉地を訪れた。

岩村は休泊所と浴槽を作らせ、湯守の定山に米を給与した。同年本願寺街道の検分の折りにここを訪れた東久世通禧開拓長官が、常山渓と命名し、これが後に定山渓に変化したとされる。

しかし、明治7年(1874)7月、温泉は経営的にほとんど成り立たなかったために、定山への給与は打ち切られた。

定山渓温泉河童がモチーフ 明治10年(1877)に定山が亡くなり、明治13年(1880)に佐藤伊勢造が温泉の経営を引き継ぐ。 客が少ないことは変わらずだったが、しだいに客が増え、明治19年(1886)に高山今朝吉が高山温泉を開き、さらに後に鹿の湯温泉ができた。

大正3年(1914)に豊羽鉱山の開発が始まると、定山渓温泉の本格的な開発も始まり、 温泉宿は改築され、新築の旅館も増え、その他の店や家も増加した。

大正6年(1918)には、鉱山開発に伴って定山渓鉄道が開通。アクセスが向上したことにより、札幌の奥座敷としての地位を確固たるものとした。

戦中戦後には、利用客が激減し、昭和22年(1947)には進駐軍は建物を不審火で全焼させてしまった。

戦後の急成長に伴い温泉街も復活し、昭和40年(1965)には、河童をモチーフにした温泉街づくりを始め、以後、河童は定山渓のシンボルとなった。

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